V  女神降臨


3−2  女神降臨



 ロジルは少し早足で男の背中を追った。男は彼よりも少し身長が高いだけだったが、進む速度は遥かに向こうの方が速い。コレは別にロジルの歩く速度が遅いわけではなく、男のほうが力任せに歩いているだけの話である。
「あのっ、あなた誰ですか?俺、人を待ってるんですけどっ!」
「心配するな。あんたの待ち人のところに案内してやるんだから」
「え?ちょっと、どういうことなんですかっ」
「ゴチャゴチャうるさいな。黙ってついて来い」
「うるさいって…そもそもあんたは誰なんだ!」
 相手の高圧的な態度に痺れを切らしてロジルが叫ぶと、前を歩く男がようやく足を止めた。鬱陶しそうに背後を振り返り、不機嫌丸出しで口を開く。
「俺はこんな役目を押し付けられて気が立ってんだ。黙ってついて来りゃいーんだよ、お前は。まったく、何だって俺がこんなことせにゃならんのだ。あの野郎、これで失敗したらただじゃおかねえからな…」
 最後はどうやらロジルに向かって放った言葉ではないようだが、待ち人のところに案内するというのは彼にとって無視できない。
「ミルディに、何かあったんですか」
 高鳴る心臓を押さえて平常を装う。彼にとって見ればごく自然な質問だが、男はそれを聞いて少し苦笑した。
「まあ、何もないとは言わねーけどな。お前がいないことには話しになんねーんだよ。いいからついて来い。悪いようにはしないさ。――あ、そうだ、忘れてた」
 突然何かを思い出して男はロジルのほうに歩み寄った。
 おもむろに右手の人差し指を出してロジルの額に指先で触れ、小さく何事かを呟く。
「これでよし」
 それだけを言うと、男は再び歩き出した。



◇ ◆ ◇ ◆



「マリッサ=テルトン、21歳。両親との3人家族。家は洗濯屋を経営」
 淡々とした声が響く。
「幼なじみのロジル=ニーバスに求婚された翌日、買い物から帰る途中で暴走した馬車にはねられて即死…可哀相に。同情の余地はなくもないわ」
 マリッサは目の前の女を睨みつけていた。女の方はといえばそんな視線を気にする風もない。
「…あんた、何者よ?人のプライバシーにまで入り込んで!ロジルを誑かして何しようっての!?」
 すると女はちょっと目を見開いてから鼻で笑った。この雰囲気に似合わない優しい風が女の薄紫の髪を揺らす。
「馬鹿ね、あんたたちの生死はあたし達が管理してるのよ?プライバシーも何も関係ないわ。あたしがわざわざこんなところに足を運んであんたの男を誘惑したのも全部あんたのためだってのに、何であたしが責められなきゃならないのさ?」
 その態度はあまりにも堂々としていた。思わず「ごもっともです」と頭垂れてしまいそうになる。
「ミルディ。そんな喧嘩腰になっちゃ駄目じゃないか」
「あたしは何も話すことはないって言ったでしょう?こっちは来てやってるんだから、普通は感謝されて当然じゃない?理不尽に売られた喧嘩は買って絶対に勝つわよ、あたしは」
「だから、どうして君はそう喧嘩腰になるのかなぁ?そろそろ大人になってもいい年頃だろう?」
 断っておくが、外見こそ二十歳前後に見えるこの女、下界の時の流れに換算すれば少なくとも200才は超える超高齢者である。
「なによ、あたしが悪いっての?」
 目の前でわざとらしく溜め息をつく男にミルディが食って掛かろうとするのを女が制した。
「ちょっと!いったい何の話してるのよ?だいたい私達の生死を管理してるって、どういうこと?」
 女が少し戸惑ったように声を上げ、ライデルがミルディを見た。説明しろ、ということらしい。
「こいつから聞いたんじゃないの?あたし達は人間じゃない、天界の住人よ。そしてそこであたし達は――正確にはあと一人いるけど――人間の生死を取り扱ってる」
「………」
「人間の生命を紡いで、運命を決定して、そして寿命が来たら生命を断ち切る。そういう仕事をしてるの」
「…じゃあ、あたしの寿命を決めたのも、この運命を決定したのも、あんた達ってこと…?」
「まあ、そういうことになるかしら」
「――っ!」
 女の顔に朱が走り、ミルディの胸倉を掴んで詰め寄った。
「なんでっ!?なんでそんな運命なのよ?私だけ、どうして…」
 女の瞳が涙に濡れる。
「どうしてこんな――っ!!」
 そのまま力なくしゃがみ込んだ女を、ミルディはただ黙って冷ややかな瞳で見下ろしていた。
「20年も生きてきたなら分かるでしょ。何にだって『例外』ってもんがあるのよ。言っとくけど、あたし達はあんたの人生をこんな形で終わらせようなんてしてないわ。あんたが勝手に死んじゃったの。つまり、あたし達を恨むのはお門違い。謂れない恨みを黙って受け取るほどあたしは寛容じゃないのよ」
 ミルディは突然未来を絶たれた人間に向けるものとは到底思えない台詞を容赦なく浴びせ、隣ではライデルが額に手を当てて天を仰いだ。
「だってあんた今さっき運命を決定するのは自分たちだって言ったじゃない!」
「だから例外があるんだって言ったでしょ?人の話を聞きなさいよ」
「その例外が私ってわけ?」
「ある意味ラッキーよ。例外なんて滅多にあるもんじゃないんだから、運が良かったんじゃない?」
「!?」
 あまりの暴言に女がミルディを引っ叩こうと上げた手をライデルが掴んだ。
「ミルディ!いくらなんでも言い過ぎだ。――それに、もう時間だよ」
 ミルディが女の肩越しに前を見据え、再び女に視線を戻した。
「…可哀相だけどあんたは生き返ることはできないから、冥土の土産に良い物をあげる。時は金なり。最期の時間は特に、ね」
 ミルディが自分の背後を指し示す。
 つられて女が振り向くと、そこに見えたのは二人の男。
 一人は、さんざん自分に纏わりついていた死神。
 そして、もう一人は。

「……ロジル……」




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