V  女神降臨


 3−3  伝えたいこと



 吹き抜ける風が女の呟きをさらってゆく。
「………」
 いるはずのない人物の登場に青年が絶句した。その隣には、今日会う約束をしていた彼女の姿もある。
 頭の中では疑問符がたくさん浮かんでいて、何か喋らなくてはと思えば思うほど、身体は硬直して動かない。口が貝のように固く閉ざされ、自分のものではないみたいに思えた。
 お互いの顔を凝視したまま動かなくなった二人を見やって、ミルディが軽く溜め息をつく。
「ちょっと。もっと感動的な再会をしてくれると思って期待してたんだけど。せっかくのあたしの好意が徒労に終わるじゃないのさ」
「…ミ、ミルディ?彼女は一体…」
 わけが解らないまま、何とかそれだけを口にした。
「見てわからないの?あなたを落ち込ませた張本人よ。まさか一ヶ月やそこらで顔を忘れたわけじゃないでしょうに」
「いや、そういう意味じゃなくて…」
 頭が混乱している。そもそも何故ミルディが彼女のことを知っているのか。
「何が起こったのか理解できてないだけなんだよね。あ、ディット、ご苦労様」
 ライデルの労いの言葉にふんっと鼻を鳴らして、ディットは傍らで石像のように動かない男の背中を押した。
「うわっ」
「なんか言うことあんだろ?」
「えっ…」
 ごくりと唾を飲み込んで、正面に立ってやはりこちらを凝視している女を見つめる。
 何度となく見てきた顔。幾度となく自分を見つめてくれた瞳。もう一度開いてほしいと切に願った、瞳。
 目が乾く。息が苦しい。心臓の音がやけにうるさく感じられた。

 先に口を開いたのは、マリッサだった。

「久しぶり…って言うのかしらね?」
 少しはにかむように笑う。
「びっくりしたわ。まさかもう一度あなたと話せるなんて思ってなかったから」
 それはこちらの台詞だ。まさか、死んだ人間が、生き返るなんて。
「マリッサ…なんで教えてくれなかったんだ?その、生き返ったってこと…もっと早く――」
「ストップ」
 ミルディが青年の言葉をさえぎった。
「勘違いしないで。生き返ったわけじゃないわよ。彼女はもう死んでるわ。それは変えることの出来ない事実」
 それを聞いて、青年が怪訝そうにミルディを見る。
「何を言ってるんだ、こうして目の前にいるじゃないか」
「それは、彼女の姿があなたにも見えるように細工したから。普通の人間には見えないわ。手っ取り早く言えば、あなたは彼女の幽霊を見てるってことよ」
 理解しかねるといった表情の青年に、ライデルがディットを指差していった。
「彼女がね、どうしても君の元から離れたくないって駄々こねてさ。いわゆる悪霊ってやつになりそうになって、そこにいる死神くんを困らせてたんだ」
「死神?」
 驚くのも無理はない。話はすでに彼の理解の範疇を超えている。
「そういうこった。俺は死神で、あんたの彼女の魂を連れてかなきゃならないのさ」
「僕達もあんまり長居出来ないんでね。今のうちに言いたいこと言っといた方が良いよ」
 ロジルは再びマリッサを見つめ、それから仏頂面の死神とその仲間らしい男を交互に見た。
「連れて行くって…どこへ…?」
 かすれた声の質問に、死神が無言で人差し指を上へ立てた。
 と同時に、疑問が沸いてくる。
「ミルディ…君も、死神なのか?」
「冗談。あたしはただの助っ人。まあ、人間ではないけどね。そんなことよりも、彼女の話を聞いて上げなさいよ。そこの男も言ってたでしょ。残された時間は僅かなんだからさ」
 ほら、と女の背中を前へ押して促す。
 言いたいことはいっぱいあるはずなのに、なぜか言葉が出てこない。文句なら山ほどあったはずなのに。他の女と仲良くしているその後姿を、何度蹴り飛ばしたくなったことか。側にいる自分に気づいてくれない鈍感さに、何度張り倒したくなったことか。例え悪霊と呼ばれようとも、自分に縛り付けておきたかったのに。
 もうどうでも良かった。これから二度と会えないとわかっていても、とにかく話をすることが出来るだけで嬉しかった。どうしても言わなくてはならないことがある。

「あの、ごめんね?約束、守れなくて」
「………」
「それだけ、言いたくて。すごく嬉しかったのよ。実現しなかったのは残念だけど…ロジルが私にプロポーズしてくれたことは事実だから」
「マリッサ…」
 泣き笑いのようになって、最期の言葉を告げた。

「許してね」

 胸のつかえがふっと消えた感じがした。



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