U 死者と生者
2−3 「嫌な予感がするんだよな」 「あんた、バカ?バカでしょ?自他共に認める大馬鹿者よね?」 「そんな冷たいこと言うなよ、ハニー。いくら俺だって、傷つくことぐらいあるんだぜ?」 「誰がハニーだっ!」 「あのさぁ、ここ、僕のプライベートルームなんだよね。喧嘩ならよそでやってくれないかな?」 ノックも無しにいきなり入ってきて声を張り上げて言い合いを始める二人に、ライデルはうんざりした様子で言った。 「だってこの男、自分の失態をあたしのせいにするのよ?あたしは頼まれた通りにやってあげたっていうのに!」 「だからって、アレはやり過ぎだろう?却って彼女が頑なになっちまったんじゃ意味がねーんだよ!」 「よっく言うわよ!あんたのやり方が悪いからそうなるんじゃない!」 二人の言い合いは止まるところを知らない。 「なんだ、結局連れて来られなかったんだ?」 小馬鹿したようなライデルの言い方にディットが食って掛かる。 「うるせーよ。思いの外しぶとい女だったんだ。まったく、とりたてて良い男ってわけでもないのに、何だってあそこまでこだわるんだか…」 さっぱり分からん、と目の前に垂れた黒髪を右手で掬い上げた。 「あら、結構イイ男よ?」 「ミルディっ!?」 ごく自然なミルディの一言にディットが漆黒の瞳を見開いて慌てる。 「だって、誰かさんみたいにナルシストじゃないし。女癖悪くないしね。どっかの死神よりずっとマシ」 「失礼だな。俺は女癖は悪くないぜ?本気で愛してるのは君だけだって、いつも言ってるだろ?」 「あんた、いつか消滅する時が来ても、その口だけはしぶとく残ってるんでしょうね」 ミルディが冷たい目でディットを見遣った時、ザクトが部屋に入ってきた。眉を顰めて室内を見回す。 「相変わらず騒々しいですねぇ。廊下まで丸聞こえですよ」 動かしていた視線をディットで止めて、さらに氷点下の言葉を振りかけた。 「無駄口を叩いてないでさっさと用件だけおっしゃい。死神風情がこの館に足を踏み入れるだけでも恐れ多いことなんですからね」 一瞬カチンと来た顔をしたディットだが、口では彼に勝てないと判断したのか、一度深呼吸をして自分を落ち着かせると腕組みをして言った。 「…とにかく、かなりヤバイ状態になってるんだ。彼女は感情が高まり過ぎて怨念の塊と化しつつある。このまま放っておけば―――男の方が危ない」 死者の念は生者のそれよりも数段強い。 恨みや憎しみだけに限らず、思い入れが強ければその生者を引きずり込んで自分の仲間にしてしまうことも少なくない。そうなれば、引き込んだ側は重罪人となり、転生する権利を失う。神の元へ行くことも許されず、その霊魂が完全に消滅して無に還るまで、何千何万という拷問を受ける―――俗に言う『地獄』に落とされることになるのだ。 「何とかして彼女の気を落ち着かせないと…」 ディットが唇を噛む。 「男の方はあたしがちゃんと守ってあげるわよ。そんな女にあたしは負けないから」 「だから、それをやっちゃうとダメなんでしょうが…」 胸を反らして少し興奮気味に言ったミルディをライデルが牽制した。 すぐに薄紫の瞳に反抗心を燃やしてライデルを睨みつける。 「どうしてよ?要は、彼が死ななきゃいいんでしょ?女が転生出来なくなろうと地獄に落ちようとあたし達には関係ないじゃない。むしろ、仕事が減って万々歳だわ」 「あのねぇ…これはディットの仕事なんだよ?僕達は単なるお手伝いなんだから、出しゃばっちゃ申し訳ないだろう?ま、仕事が減るのは僕としても望むところだけど」 「あなた達の仕事は減るかもしれませんが、私の方は大変になるんですから止めてくださいよ」 確かに、転生しなくなるのであればその分二人の仕事は減るわけだが、ザクトの方はそう楽観視出来ない。怨念の塊と化した魂は復元能力が恐ろしく強い。それを断ち切るにはかなりの労力を必要とするのだ。出来ればそんな事態は遠慮したい。 「俺だって御免被るぜ。怨念を抱えた魂は、連れて行くのも一苦労だからな」 「だったら早く何とかしてください。あなたのせいでこちらまで被害が及ぶのは我慢なりません」 「だーかーらー、今一生懸命考えてるだろ!」 「女の事しか考えたことのない頭なんですから、さぞかし立派な名案が浮かんでくるんでしょうね?」 ザクトの言葉は皮肉100%で構成されている。 「もうこうなったら首に縄つけて力任せに引きずってきたら?」 「馬鹿ね。そんなことがこの変態フェミニストに出来るわけないでしょ。途中で手を緩めて逃げられるのがオチよ」 「その言い草はあんまりなんじゃないかい…?」 項垂れる黒髪を呆れた目で見遣り、ザクトは溜め息を吐いた。 「で?どうするんですか。さっきから話が横道に逸れてますよ」 全員が一斉に黙りこくる。 暫しの沈黙の後、ふと思いついたようにライデルが口を開いた。 「ねえ?僕も行っていいかい?」 「来てどうすんだよ。何か策でもあるってのか」 「んー、策ってほどのものでもないけどさ。ちょっと、交渉を、ね」 「交渉?」 「そう。一度、ミルディと話をさせてみたらどうかなって」 これに目を剥いたのはミルディである。 「は?あたしと?別に話すことなんか何もないわよ」 「だって、女の気持ちは女にしか分からないって部分もあるじゃん?ミルディと話してみたら意外にすんなり事が運ぶかもよ」 「そんなの、わざわざお前がやらなくたって俺が交渉すれば済むことじゃないか」 ディットが不貞腐れた顔でライデルを睨みつけると、ライデルは人差し指を立ててチッチッチッと横に振った。 「分かってないなぁ。君は、今、まったくもって彼女に相手にされてないんだろう?僕の方が適任だとは思わないかい?別にザクトでもいいけどさ。この毒舌でさらに怒らせちゃったりしたら却ってマイナスになるからね」 余計なお世話です、とザクトは思ったが口には出さなかった。 ライデルは例によって何か良からぬ画策をしているに違いない。しかし何もしないで悩んでいるよりは、そこにどんな策略があろうとも行動を起こした方が良いに決まっている。 「どうせこのままじゃ危険は免れないわけだし、思いついたものはサクサクやっていこうよ」 ね?とライデルの金瞳が全員の顔を見回す。 「まあ、ラディの言うことにも一理ありますね。そちらの方が許可してくれるなら、やってみても良いんじゃないですか」 藍色の瞳がちらりと死神を見た。 「…余計なことはすんなよ?交渉が終わればお前の役目は終わりだからな。そこから先に首突っ込むんじゃねーぞ」 「そう来なくっちゃ。これでやっと僕も 心底嬉しそうに言うライデルを見て、ディットの瞳に不安がちらついた。 |