U  生者と死者


2−2  煽動



 金属の澄んだ音が響く。
 綺麗に手入れされた芝生の上で、一組の男女が剣を交わらせていた。

「あっ…!」
 ガキンッと音がして、ミルディの剣が彼女の手から弾き飛ばされる。
「なかなかやるなぁ。正直、ここまで腕が立つとは思わなかったよ」
 軽く息が上がっているミルディとは対照的に、息に少しの乱れもない男が爽やかな笑顔で彼女の剣捌きを褒め称える。
「…ロジルこそ、街の鍛冶場で働いてるだけなんて勿体ないぐらいの腕を持ってるわよ。軍にでも入れば良いところまで出世しそうなのに」
 ミルディが少し恨めしげな視線を投げかけると、男は剣を鞘に収めながら少し困ったような顔をした。
「軍隊みたいな厳しいのはオレには合わないよ。それに…」
 そこで不自然に言葉を切った男の後をミルディが受け継いだ。
「恋人も嫌がるし?」
 驚いてミルディを凝視するロジルの瞳は、どうして分かったのだと訊いている。
「顔に書いてあるわよ。それに女なら、そんな危険な事はしてもらいたくないって思うもの。なんたって命懸けの仕事だしね」
 そう言って、ミルディは少し悲しげな微笑みを浮かべた。再び任地に赴いたという兄のことを思い出しているのだろうか。
「そうか…でも、今はもう、過去形だけどな」
「あら、どうして?もしかして別れちゃったの?」
 ミルディは後にこの時の感想を「飛んで火に入る夏の虫」と評したが、彼女を知る者が見れば深く感銘を受けるであろうぐらいに、その演技は堂に入っていた。
 ロジルは不思議そうに訊いて来る彼女にどう答えたもんかと暫し考えたが、ありのままを話すことにした。
 彼自身、あれから完全に立ち直ったわけではない。しかし不思議なことに、まだ数えるぐらいしか会ったことのない彼女だが、聞いてもらえば少しは気が晴れそうな気がした。
「この間…死んだんだ。暴走して突っ込んできた馬車に轢かれてさ、ほぼ即死だった」
 鞘を握る手に力が篭もる。
「まあ…」
 大きな瞳をさらに見開いてミルディは絶句した。
「一ヶ月ぐらい前になるかな。もうそろそろ吹っ切れても良い頃だとは思うんだけど、どうもそういう気分になれなくてさ」
 少し自嘲気味に笑う。
「…気配がするんだ。あいつの。なんか傍にいるような気がして…振り返ってみても当然誰もいないんだけど。それでも、なんでかな、この一ヶ月間、あいつがずっとオレを見ている気がする」
 そりゃそうでしょうよ。
 彼女の魂はまだ現世にしがみついてるんだから。正確に言えば、この男に。
 これは少しマズイことになるかもしれない。
 ミルディは心の中で舌打ちをして、ことさら柔らかい声を出した。
「気持ちは察するけど、いつまでもそんなんじゃダメよ。まるで彼女の亡霊にとり憑かれてるみたいじゃない。もっと楽しいことを見つけなさいな。あなたは生きてるんだから。そうね、今度、一緒に買い物にでも行かない?」
 男の腕に自分の腕を絡めて少し甘えるように言ってみると、ロジルはちょっと迷う素振りを見せたが、すぐに頷いて笑顔になった。



◇ ◆ ◇ ◆



「そろそろ俺の言うことに耳を傾けてくれてもいーんじゃない?」
 ひたすら前を睨みつけている女の後姿にディットは諦め半分で声を掛けた。
「あの男は君の死を乗り越えて新しい恋人を見つけつつあるんだ。悲しいだろうけど、本当に好きなら彼の幸せを願ってあげるのが一番いい方法だと思うよ。だから、俺と一緒においで?不自由はさせないから」
 世の女性を酔わせる自慢のバリトンで優しく囁いても、女はじっと前を見据えたままディットには見向きもしない。
 彼女の視線の先には一組の男女。仲睦まじく、談笑している。女の方は時折男に甘えた仕草を見せ、男の方も満更ではなさそうだ。
 一向に靡きそうにない彼女の態度に、はあっと溜め息をついたとき、女がちらりとこちらに視線を向けた。
「なに、俺と一緒に来る気になった?」
「………」
「マリッサ?マリッサ=テルトン?」
 無言のままディットを見つめるその瞳には何の感情も見られない。ひらひらと目の前で手を振っても瞬き一つしない女に、さすがに心配になったディットが肩に触れようとしたその時、女の口が微かに動いた。
「…る…い…」
「なに?」
 ディットが前屈みになって女の口元に耳を寄せる。
「…許さない…あの女…私がいるのに…あの人も…許さない…私から離れるなんて…そんなことさせない…」
「おい、マリッサ?」
「私はここにいるのに…いつも一緒に…」
「仕方がないだろう?君はもう死んだんだ。彼に君の姿はもう見えないんだよ。君の声も聞こえない」
 宥めすかすように頭に手を差し延べるが、思いっきり払われた。
「うるさい…うるさいうるさいうるさいっ!!」
 ディットの声を振り払うように耳を押さえながら大きくかぶりを振ると、女は踵を返して反対方向へと消えて行った。

「…おーい…」
 一人取り残されディットに冷や汗が流れる。
「これって…もしかして、凄くヤバイ展開なんじゃねーのか…?」
 どうやら作戦は着実に危険な方向へと結果を導いているようだ。
「マズイな…こりゃ大変だ」
 女の消えた方を見つめながら軽く唇を噛んで思案顔になり、再びさっきの男女に目を向ける。
「お前、ちょっとやりすぎだっつーの…」
 視線の先で楽しそうに笑うミルディを睨んで文句を漏らした。





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