T 問題児3人組
1-2 「私とこの人たちを一緒にしないで下さい」
どうして私に気付いてくれないの? どうして私だけが行かなくてはならないの? 嫌よ、絶対に嫌よ。 私はあなたと一緒に居たいだけなのに。 ずっと傍にいるって約束したのに。 私はここに居るのよ。 ねえ、あなたもそう望んでくれているでしょう? あの時誓った愛は嘘じゃないでしょう? あなたには、私の声が聴こえるでしょう? お願い、私を一人にしないで―――。 ぞわっと、寒気がした。 そっと背後を振り返ってみるが、何も変化はない。 棚の上に、彼女の、眩しいほどの笑顔が納まった写真があるだけ。 「どうした?顔色が悪いぞ」 青年の変化を察知した老人が仕事の手を止めて訝しげに尋ねた。 「あ…いえ、何でもありません…」 正面に向き直って、とりあえず笑って見せる。 気のせい、だろうか? 僅かに流れる冷や汗を袖口で拭い、ゴクリと喉を鳴らす。 その様子を見た老人はふんっと鼻を鳴らすと、再び売り物の剣を磨く作業に入った。 その目を盗んで、もう一度ちらりと後ろに視線を向ける。 写真立ての中で、彼女は変わらず微笑んでいた。 ◇ ◆ ◇ ◆
最初にそれを見たとき、ライデルは思わず「ぶほっ!」と吹き出してしまった。 ミルディもまた、込み上げる笑いを必死になって抑えたものだ。 ザクトはといえば、辛うじて無表情を保ってはいたものの、彼にしては珍しく、身体を二つ折りにして机をバシバシ叩き涙を流して笑い転げたいのが胸の内であった。 「………」 そんな彼らの前で不機嫌も露わに顰めっ面をしているのは、この絃楼殿の監査役であり天界最高議会副議長、その人である。 ゴホンと一つ咳払いをすると、クロベルは早速切り出した。 「…お前達は、なぜ私が直々にやって来たのかわかっておろうな?」 彼はもともとカチカチに凝り固まって融通の利かない石頭の偏屈じいさんで、普段からこういう厳めしいものの言い方をする。 今日も普段と変わらない威厳のこもった口調であったのだが、彼の向かいに座った三人にはその威厳を爪の先ほども感じることは出来なかった。 「いやっ、そ、その前にっ…一つ…訊いてもっ…?」 口を開くと爆笑してしまいそうになるのを1単語ごとに口を閉じて息を止めることで耐え、ライデルはその姿を見ないように少し俯き加減で老君に尋ねた。 「どうなさったんです、その…鬚っ…!」 震える指でライデルが指した先には、クロベルご自慢の白く長い豊かな鬚があった。 しかし。 その真っ白なはずの鬚に薄い黒の斑点がポツポツあり、さらにその鬚先は全体が、やはり薄い黒に染まっている。 そう、それはまるで使い終わって水洗いした毛筆のように。 「…そんなことはどうでも良い!」 気になって気になって仕方がないことをこともあろうに気に食わない若造に指摘されたとあって、クロベルの顔は羞恥心で真っ赤になった。 しかしよく考えたら、そもそもこんなことになったのはこの男のせいではないか。 そうだ、この男が真面目に仕事をしないからこんな事態になったのだ。 そう思えば思うほどに羞恥心よりも怒りが頭をもたげてくる。 「そもそもお前らのせいだ!お前らが書類を溜め込むから私が迷惑を被るのだ!お前らときたらいつもいつもいつもいつも私に嫌がらせばかりしおって!!ああん!?小僧!私に文句があるのなら今ここで聞き届けてやろうではないか!ほれ、言うてみいっ!!」 完全にキレてしまったクロベル天界最高議会副議長兼絃楼殿監査役は、ライデルの胸倉を掴み上げんばかりの勢いだ。 その台詞を聞き咎めてピクンと眉を動かしたザクトが、 「私をこの人たちと一緒にしないで下さい。私はちゃんと仕事はしているんですから」 と異議を唱えたが、どうやら耳に入っていないらしい。 「なによ、あたしだってちゃんと自分の仕事はしてるわよ。あたしは優秀なの。こんな馬鹿と一緒にしないで!」 というミルディの抗議は、ザクトにさえ聞き入れてもらえなかった。 ライデルも普段から鬱憤が溜まっているので、いつもの彼であれば文句の10や20は羅列できたかもしれないが、今日はそうはいかなかった。 クロベルが口を動かすたびに揺れ動く水玉模様の極太筆にすっかり心を奪われている。 笑いを堪えようとして奇妙に歪んだライデルの顔を前にクロベルがさらに何か言おうと口を開きかけたとき、彼の隣に座って黙って事の成り行きを見ていた男が声を発した。 「まあまあ、クロベル殿。あんまり怒ると血圧が上がりますよ」 割合整った顔立ちのこの男、名をディットといい、役職は『死神』である。 ディットはライデルに噛み付かんばかりに身を乗り出しているクロベルの片腕を抑えて、この場に不似合いなほどの落ち着いた口調で言った。 「早く用件を済ませてしまいましょう。ただでさえ仕事が遅いのに、こんな事で時間を食っていたらますますこいつらの仕事が遅くなりますよ」 キラリ、とザクトの藍色の瞳が光る。 「…何ですって?」 「いえ、別に?」 ディットは少し癖のある黒い前髪を触りながら、とぼけた口調で返した。 クロベルは少し落ち着きを取り戻したようで、一つ大きく息を吐き出すと、涙目で自分を(正確には自分の鬚を)見るライデルを視界と意識から追いやって、漸く本題に入った。 「あ、それ、僕も行きたいな」 ただひたすら笑いを堪えていただけだったように見えたライデルが、クロベルの話が終わるとそんなことを言い出した。 呆れた声で言い返したのはディットである。 「お前な、これは遊びじゃねーんだよ。しかも俺に対する嫌がらせか、それは。なんだってこの俺がヤローと組まにゃならんのだ」 「その台詞からは真剣さが窺えないけどね。しかも、その推測は間違ってるよ。僕は純粋に君の手伝いをしようと―――」 「あなたはダメですよ。まだ仕事が残っているでしょう」 ザクトが、ライデルの言葉を遮って忠告をした。 「溜めてた書類は捌き終えたじゃないか。もう僕の手元には紙切れ一枚残ってないよ」 ライデルが頬を膨らませて言い返す。しかしザクトの反応は冷たかった。 「書類は終わっても実技がまだですよ。さっきミルディが紡ぎ終えた糸を織り上げてもらわないと」 ここ、絃楼殿が『絃楼殿』と呼ばれる所以。 簡単に説明すれば、その役割から来ている。 現世に存在する人間の運命を司るのが、この絃楼殿である。正確には、絃楼殿の住人であるライデル、ミルディ、ザクトの3人なのだ。 ミルディが人間の運命の基となる糸を紡ぎ、ライデルはその糸を織り上げる。使う糸の長さを決めるのも運命の図柄を決めるのも、彼の仕事だ。人間はその図柄に沿って一生を過ごすのだから、一番重要な役どころである。ちなみに、ザクトはその糸を断ち切る、即ち運命を終わらせる役目を担っている。 「うっ…少しぐらい息抜きさせてくれたっていいじゃないか」 「あなたの場合は放っておいたら年がら年中息抜きばかりでしょうが。時間の使い方が一番下手なんですから余計なことに首を突っ込まないように」 「そうだぞ。お前のせいでクロベル殿は大怒りだ」 ディットがうんうんと頷きながら相槌を入れる。 「関係ない人は黙っていなさい。死神風情に口出ししてもらいたくありません」 ギロッという音が聞こえてきそうな鋭い視線でザクトは死神を睨んだ。 睨まれた死神は、ひょいっと肩を竦めてクロベルを見る。 暫し若者達の押し問答を黙って聞いていたクロベルだが、 「ライデル。お前には絶対に行かせん。お前は居残りだ」 ライデル以外の全ての者達の、本心だった。 |