T  問題児3人組


 1-1  「僕が一体何をしたって言うんだい?」



「まだ書類は届いておりません」

 若い秘書の台詞に、机に向かって書き物をしていた老人がガバッと顔を上げた。
「なに!?あれほど早急に回すように口をすっぱくして言ったというのに、まだ来ておらんのか!?」
 唾を飛ばす勢いで詰め寄る老人に、青年は少したじろいだ。答える声も自然と小さくなる。
「はあ…いかがいたしましょう?」
「いかがもへちまもあるか!すぐに絃楼殿へ使いをやれ!いいか、何が何でも書類をぶん取って来させろ」
 力説するあまり青年に対してビシィッと指を差しその手を元に戻そうとしたとき、運悪く手元にあったインク瓶を倒してしまった。
 パシャッと小さな音を立ててインクが零れる。そのインクが、老人ご自慢の白く長い鬚にかかった。
「あっ…」
 青年が思わず声を上げる。と同時に、背筋を悪寒が走った。
 俯いたまま顔を上げない老人の表情は見えない。
 気まずい沈黙の後、老人の低く静かな声が青年の耳に届いた。

「…使いは遣らんでいい。連絡だけしておけ。私が直々に書類を取りに行ってやるとな」




※ ※ ※




「あ〜!なんだなんだ、この書類の山は!一体僕が何をしたって言うんだい!?」
 机上に山積みになっている紙束を見て、ライデルが金色の短髪に手を突っ込んでガシガシと掻いた。
「二日間も遊び惚けていたんです、書類だって溜まりますよ。私が手伝ってあげているだけでも感謝してくださいね」
 積み上げられた書類の向こうからひんやりと落ち着いた答えが返ってくる。
「ザクト、君も思うだろう?こいつなんか見てごらんよ。人ん家に泥棒に入って逃走途中に落馬して川に落ちた挙句に溺死!こんなの、また命を与えたところでロクな使い方しないに決まってるんだ!僕達の労力が無駄になるだけじゃないか!!僕は無駄なことは嫌いなんだよ、君と違ってね」
 紙束の山から資料を一部取り出して指でパシンと弾く。
「あなたの場合は仕事そのものが嫌いなんでしょう?こっちには、首吊り自殺するのしないのと喚いていたら台にしていた椅子が倒れてあっけなくお亡くなりになったお婆さんの資料がありますよ。まったく、こんなもの、ここまで回さずに議会でさっさと棄却すればいいものを」
 チッと小さく舌打ちをして、ザクトと呼ばれた青年が立ち上がった。
 藍色の背中までの髪を首筋で一つに束ね、淡い青の布を身に纏っている。
 同じく藍の色をした瞳が酷く冷ややかに見えて、青年を近寄りがたく冷淡な雰囲気にしている。
 ザクトは金髪の青年のところまで行くと、持っていた書類をバサリと机上に置いた。
「それでもこちらに回されて来たんですから、ちゃんと捌いて下さいよ。ほら、ラディ。グチる暇があったら手を動かす!早く書類を提出しないとお偉方から苦情が来ますよ」
 ザクトの台詞で思い出したくない顔が脳裏に浮かび、ライデルが眉根を寄せたとき。
 部屋の片隅で、キィン、と澄んだ音がした。
「おや、誰でしょうね?」
 滅多に使われることのない通信鏡の反応に、ザクトが首をかしげながら近寄っていく。
「あの口煩いジジイの話題はもうたくさんだよ。まったく、人の顔見りゃ文句ばっかり言ってくるんだから。あの禿げ茶瓶、いつか絶対あの鬚むしり取ってやるぞ」
 ライデルが回転椅子に身を沈めてぐるぐると回りながら、眉間にシワを寄せてぶつぶつと悪態を吐く。
 そこに、通信を終えたらしいザクトが意味深な笑顔で戻ってきた。
 そして、窓の外を見ながらまだぶつくさと何かを呟いているライデルの背中に、耳を疑いたくなるような言葉を振りかけたのである。
「その禿げ茶瓶から伝言です。先日回した書類を回収に行くのできちんと仕上げておくように、と」
「………」
 その場の空気が一気に固まった。もっとも、藍色の髪の青年は能面のように無表情な顔だが、金髪の青年の方はそうはいかなかった。端正に整った顔をこれでもかというぐらい歪め、全身で嫌悪を表現している。
「げぇっ!?何であいつが来るのさ?遣いでも寄越せばいーじゃんか!もったいぶって恩着せがましくのこのこ来ることないだろっ!」
「そんなこと、私が知るわけないでしょう。文句なら当の本人に面と向かって言っておやりなさい。その前に、そもそも書類を溜め込むあなたに非がありますが」
 痛いところを突かれて言葉に詰まったライデルの目前にバサバサッと書類の束を置くと、ザクトは先程とは打って変わった鮮やかな笑顔を浮かべて、仕事仲間に忠告した。
「早く仕上げてくださいね。これさえ仕上げておけば、老人は文句なくお帰りになられますよ。あなたのために私までとばっちりを受けるのは非常に迷惑ですから」
「…オニッ!悪魔っ!」
「どうとでも。老い先短い石頭に嫌味を言われることを考えれば、悪魔に身売りするほうが遥かにマシです」
 打てば響くように返ってくるザクトの言及に肩を竦め、とりあえず目の前に積み上がった書類の山の攻略法を考えるライデルであった。
「まったく…一体僕が何をしたって言うんだい?」
 未だ己の非を棚上げして認めないその言葉に、もはや返事はなかった。



◇ ◆ ◇ ◆



「は?クロベルが?何しに来るのさ?」

 ミルディは薄い紫色をした綿菓子のようなふわふわの髪を指で弄びながら、見事なまでの仏頂面で机に向かっているライデルに問い掛けた。
「書類を取りに来るらしいよ。わざわざ、天界最高議会副議長殿が。直々に!」
 金髪の頭を上げもせず、この青年にしては珍しくぞんざいな口調である。
 ソファに座ったまま後ろを振り向き、机に積み重なった紙を一枚とって、ティーカップに口をつけながら彼女はそれを眺めた。
「ふーん…で、アンタはまだその書類を仕上げてなくってザクトに叱られた、と。バカじゃないの」
 彼女の言葉に同情は一ミリたりとも含まれていない。
「…君は、こう、同情とか労りとかいう気持ちを持っていないのかい?」
 ライデルは少し恨めしげな眼差しで批判してみたが、彼女に通じることはなかった。
「あたしに割り振られた分はちゃんとやったもの。こんな面倒くさいもの、他人の分までやってらんないわよ」
 手にした紙を再びひらりと机に戻し、向かいのソファに座ってやはりお茶を啜っていたザクトに確認をとる。
「で?あのじいさん、何しに来るわけ?まさかホントに書類回収だけに来るわけじゃないんでしょ?」
 対する青年の答えは至極あっさりとしていた。
「知りませんよ」
 呆気にとられたミルディの顔に、ひょいっと肩を竦める。
「通信を寄越した使者は、とにかく早急に書類を仕上げてくれとしか言いませんでしたし。かなり慌てた様子だったので、もしかしたら何かあったのかもしれませんね」
「…そう思ったら、普通はどうしたのかって訊ねるもんなんじゃないの?」
「実際に会って話をすればわかることでしょう。ま、そういうわけなんで、あなたも一緒に会合の場についてくださいよ」
「ええ〜!?せっかく糸紡ぎも一段落ついて下界に遊びに行こうと思ってたのに〜!」
「ただの書類回収じゃないって言ったの、あなたでしょう?そうとなれば3人揃っておかないとマズイんじゃないですか」
「〜〜〜…!!」
 ザクトの鋭い突っ込みに返す言葉も見つからず、ばったりとソファに倒れこむ。
「あーん、もう!来るならさっさと来てよね!この待ち時間がもったいないわ!」
 ソファに仰向けになったミルディから視線を横にずらすと、こちらは金糸の髪が机上に乗っかっている。彼もようやく書類を捌き終えたらしい。
 確認をしようと立ち上がってライデルの方に歩み寄ったが、途中、正面の窓ガラスから外を見て不意に足を止め、ミルディの方へ振り返った。
「お望み通り、いらしたようですよ。良かったですね、そんなに待たされなくて。ラディの書類も出来上がりましたし、嫌味なぐらい良いタイミングです。どこかに監視カメラでも設置したんでしょうか」
 窓の外には、天界の中心にある正殿からこの絃楼殿へと続く道を、誰かを引き連れてゆっくりと歩いてくる老人の姿がある。
 レースのカーテン越しにそれを認めると藍色の瞳をスッと細めて、一度館の中を徹底調査しなければ、と呟いた。




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