W  それも、日常。


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「いらっしゃい、こちらへ」


 澄んだ声に誘われて、女は前へと進み出た。
 薄く靄がかかった、何も無い空間。そこにいるのは自分と、見知らぬ男が一人。
 藍色の髪と瞳を持ち、この靄に融けてしまいそうな白皙の美青年。

「ここが、”審判の門”?」

 意外としっかりした口調で訊ねられて、男の藍色の瞳が少し開かれた。

「…そう、ここはあなたの生を断ち切る場。ここで進むべき道が決まります。堕ちるか巡るか、それとも無に還るか」

 女は男を見つめて黙ったままだ。決意を感じる、力強い眼光。

「…踏ん切りはついたようですね。あなたの終焉は予定とは違いますけど、まあ地獄送りにはならないと思いますよ。きっとまた人としての運命を織り与えられるでしょう」
「…あなたも、あの人たちの仲間なの?」
「仲間?そうですね…但し、私は彼らとは正反対の位置にいますけど」

 男の藍の瞳が意味ありげに微笑う。

「正反対?」
「あなたが下界で会った二人は、生を創り出す者。私の仕事は、その生を解き断つこと」

 淡々と言葉を紡ぐ口はもう微笑ってはいない。

「…それって、恨まれたりしないの?」
「それが、私の仕事ですから」

 男の口調はあくまでも事務的だ。

「誤解のないように言っておきますが、私が直接殺すわけじゃありませんよ。ここへ来る人は既に死んでいるんです――今のあなたのようにね。逆恨みも甚だしいところですが、」

 間接的には殺していることになるかもしれないですね、とこれも抑揚のない声。
 それが日常なのだ。
 毎日多くの人がこの門を通り、新たな先へと足を進める。

 自分をじっと見つめる男の瞳に吸い込まれそうな感じを覚え、女は少し目をそらした。
 男がふと女の後方に目を向ける。向こうのほうでちらちらと人影が見えた。

「少し無駄話が過ぎたようです。後がつかえますからこの辺で終わりにしましょうか。さあ、左手を出してください」

 促されて左手を前に差し出した。男がその手に触れる。

「良い旅路を」

 その澄んだ声を最後に、女の意識は弾け飛んだ。







◇ ◆ ◇ ◆








 ソファにふんぞり返ってミルディが天を仰いだ。

「あー疲れた。やっぱここが一番落ち着くわねぇ」
「お疲れ様だね、ミルディ」

 ライデルが差し出したお茶を一口飲んで大きく息を吐く。

「まったくだわ。たかが人間のためにこんなに働くなんて。しかも剣術の真似事までさせられてさ。おまけに恋愛事情に巻き込まれるし、特別手当でも貰わないとやってらんないわよ」
「いいじゃないか、どうせディットに報酬を約束させてるんでしょ。僕なんか完全なるただ働きだよ。特別手当、くれるかな?」
「天界に階級が出来て以来ずば抜けた倹約家として名高いあの財務長官サマが、そんな簡単に財布の紐を緩めると思う?金のなる木を探す方がよっぽど希望が持てるわよ」
「だよなぁ…ちぇっ、僕だって今回の件に関しては貢献してるのにさ。僕もディットに何か強請ってみようかな?」

 悪戯っ子の笑みを浮かべるライデルをミルディが平たい目で見る。

「鼻で笑われるのが関の山よ」
「…確かに」

 肯定するライデルは歪んだ顔。

「で?あの女はちゃんと成仏したわけ?」
「うん、ザクトに引き渡してきたよ。今度はちゃんと長生き出来るといいよね」
「アンタの気分次第でしょ」
「とんでもない!僕の好き勝手で決められるもんじゃないよ」

 お茶を一口飲んで、言葉を続ける。

「僕が決めてるようで、実際は僕の自由意志じゃないんだ。結局さ、人の運命なんて、誰にも左右できないってことだよ。僕はこの仕事に就いてからずっと、そのことを噛み締めてきた」

 にっこりとライデルが笑ったとき、部屋のドアが控えめに叩かれザクトが顔を出した。

「お帰り。無事に切り離せた?」
「ええ、お陰さまで。お二人ともご苦労様でしたね。お疲れのところ悪いんですが、」
「うん?」


 入室してきた彼がにこやかにその手に紙束を抱えている。


「次の仕事が来ましたよ。今日も元気にちゃっちゃと仕上げてしまいましょう」





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