【4】




 イアリファンは長い廊下を歩いていた。
 宮殿に戻った彼女は自室に寄ることなく目的の場所へと向かう。
 この世界を取り仕切る六大妖魔(エレメンツ)のひとり、ライバンガーの部屋の前で立ち止まると、その(おごそ)かな扉を叩いて声をかけた。

「バン、入るわよ?」

 部屋の中は飾り気がなく必要最小限の家具が置いてあるだけだ。その(あるじ)はと言えば、大きなソファの背もたれに頭を預けて天井を仰ぎ、深く沈みこんでいた。

「…イアか?」

 低く静かな声には(わず)かに疲労が(にじ)んでいる。予想通り、ヴォルシェはまだ見つかっていないらしい。

「こっちもまったくダメよ。キールが呼んでもウンともスンとも言わないわ」

 イアリファンが肩をすくめた。
 そこでようやくライバンガーが首だけを動かし、ブルーグレーの瞳でイアリファンを捕らえる。
 短く刈り上げられた(まばゆ)い金髪が窓から差し込む光に反射する。

「…さっき、ブラックホールが見つかったと報告があった」
「はあっ!?それってまさか――」

 イアリファンは一瞬絶句し、ライバンガーは軽く首を振る。

「あのコ、ブラックホールに足を突っ込んでどっかに飛ばされちゃったってこと!?あのバカ…そーゆーシャレにならないことやらないで欲しいわ…」

 盛大に溜め息をついて一気に脱力し、ライバンガーの向かいに沈み込んだ。
 ところが同僚は厳しい顔を崩さない。

「そのブラックホールが自然に出来たものなら、まだいい」

 意味深な言葉にイアリファンは金色の目を(きらめ)かせた。
 空間の歪みはそう簡単に出来るものではないし、ちょっとやそっとの力で作れる代物でもない。それが発生したということは、相当強力な力がかかったということだ。自然に出来ることがないわけではないが、ライバンガーは今回のホールが自然に作られたものではないと踏んでいる。

「じゃあ何よ、そのブラックホールは意図的に作られたもので、それにヴォルが引っ掛かっちゃったってことなの?」

 あるいは、初めから目的はヴォルシェだったか。
 一体誰が。
 何のために?

 イアリファンにはその答えが何となく想像できたが、口に出すことはしなかった。まだ確証が無い。決め付けるには情報がまだ足りないのだ。
 それでもライバンガーには、イアリファンの考えが分かっているようだった。と言うよりもむしろ、彼自身がそう考えていたのだから。

「いま、ディザロアが修復に行っている。もうそろそろ戻ってくるはずだ。お前の意見は後でゆっくりと聞こう」

 そのとき、扉をノックして噂の人物が入ってきた。
 深い緑色の長い髪を後ろで1つにまとめており、髪と同じ深い緑色の瞳がイアリファンの姿を認めて優しく笑った。

「やあ、イア。帰ってたのかい?」

 ディザロアは防御能力に優れている六大妖魔(エレメンツ)の1人である。

「ええ、ついさっきね。お帰りなさい、ディ」
「ディザロア、修復は終わったか」
「ああ。ブラックホールは完全に閉じておいたよ。あと、ヤーゴの森の結界が破れていたから、ついでに張り直してきた」
「ヤーゴの?そうか、ご苦労だったな」
「…ところが、ちょっと問題が発生してね」

 ディザロアの柔和な顔が少し困ったように歪む。

囚魔(しゅうま)が一匹、脱獄したそうなんだ」

 ヤーゴの森は罪を犯した妖魔を収容する、いわば広大な牢獄である。そして逃げることが出来ないように森を覆うようにして何重にも結界を張ってあるのだ。
 妖魔界にはこうした森が東西南北にあり、ヤーゴは北に位置する森である。

「逃亡魔の名は?」

 硬い表情で訊ねたライバンガーだったが、ディザロアの返答を聞いてますます顔が強張ってしまった。

「脱獄者の名前はボックル。47年前に投獄された、特級の危険妖魔だよ」
「ボックル!?」

 2人が異口同音に叫ぶ。

「そんな…」

 イアリファンが青ざめて呟けば、ライバンガーは重い溜め息をついた。

「決定的だな、イアリファン」

 確認するようにライバンガーが言う。

 ブラックホールの出現。
 ヤーゴの結界の破損。
 人間界での出来事。
 そしてヴォルシェの行方不明。

 断片にしか過ぎなかったこれらのピースが今、最悪のシナリオへと変化を遂げた。

「…また、始まるのね」
「歴史は繰り返されるものだ。世の中に感情を持つ生き物がいる限り、平和が長く続くことはありえない」

 (おのれ)の理想を実現するためには手段を選ばない、そういう者が出てくる。

「夢を見るのは勝手でしょう?理想を目指して日々を過ごすことも」
「膨らみすぎた夢は落胆しか生まん。強すぎる理想はいずれ血を欲する」

 夢が実現されなければ落胆し、その度合いが大きいほど狂気を生む可能性が高い。理想を追い求めるあまり、周囲を巻き込むことも厭わなくなる。彼らの中では周りは敵と味方に分けられ、少し違う考えを持っただけでも敵と判断される。そして敵には容赦がない。味方をも使って排除しようと考える。

「年を取ると理屈っぽくなってイヤだわ」

 複雑な表情でライバンガーから視線を逸らしたイアリファンはディザロアに問いかけた。

「まだ、見つかってないのね?」

 ディザロアが頷く。

「だったら、あいつは人間界へ行ったと思って間違いないわ。それに、ヴォルもね」
「………」

 イアリファンはおもむろにソファから立ち上がり、そのままドアの方へと歩いていった。

「キールに知らせなくちゃね。向こうでも確実に包囲網が出来上がりつつあるの」

 ガチャっとドアノブを回す。

「…今度こそ、息の根を止めてやるから」

 低い声がやけに耳に残る。
 背を向けられていたライバンガーとディザロアには見えなかったが、そう言ったイアリファンの黄金の瞳は妖しげに(きらめ)いていた。それは、必ずこの手にかけてやるという、決意の輝きだった。




◆ ◇ ◆ ◇




「久々に外の空気を吸った気分は、どうだい?」

 男が笑いながら訊ねた。

「…別に、どうってことはねえよ」

 もう1人の男が答える。漆黒の瞳からは何の感情も(うかが)えず、端正な顔は無表情だ。海の色のように深い青の長い髪が風に揺れる。

「今頃、あの宮殿内は大騒ぎだろうね。何といっても一番の危険妖魔が脱走したんだから…お土産まで持ってね」

 ちらりと視線を「お土産」に向ける。
 男のようだった。ロープで後ろ手に縛られて座っており、気を失っているらしくぐったりと壁にもたれて動かない。燃えるように紅く長い髪が印象的だ。

「言っておくが、俺はお前に(くみ)する気はさらさらない。俺が用事があるのは六大妖魔(エレメンツ)だけだ。邪魔立てするヤツは誰であろうと容赦はしねぇ」

 瞳に物騒な色をこめて男が言う。

「そんな怖い顔しなくても分かってるよ。僕は僕で、彼らには興味ないんだからね…まあ、今のところは、だけど。君はあの()をご主人様から引き離してくれればいいのさ」

 笑顔で答える男を鼻で笑って、長髪の青年はどこかへ消えて行った。

「苦労してわざわざ脱出させてあげたんだ、役に立ってもらわないと割に合わないだろう…?」

 クスクスと笑って、壁の方を見遣る。

「…もちろん、君にも。ね?ヴォルシェ」

 壁に(つな)がれた青年が、少し身じろぎしたような気がした。



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