■第一話  欠陥召喚士 【下】■




 鈍い音と金属音、それから何かの破壊音が派手に響いた。

「…なんだい、何か落ちてきたみたいだけど?」

 マレクが怪訝な顔でロインを見る。
 微かに聞こえる楽器の音色を理解して、弟子が困ったように師匠を見上げる。

「あれは…」

「きっと向こうも退屈なのね」

 フィリシアが意地悪く笑う。
 二人と一匹見つめられたその顔には明らかな嫌悪の色が見られた。


    「おーい…」


「…師匠」

「なんだ」

「呼んでるみたいですよ?」

「気のせいだろ。俺にゃ聞こえねえ」


    「ローイーンー…」


「…ねえ、ロイン?」

「んだよ」

「僕にも、僅かながら君を呼ぶ声が聞こえるんだけど」

「一度医者に診てもらった方がいいぜ、その耳」

 頑なに何かを拒否する師匠を見かねて、少年が奥に通じるドアを開けた。

「あ、てめっ…」

 果たして、ロインの罵声も空しく弟子によって開かれた、そのドアの奥には。
 その部屋には暖炉があった。
 冬になればその寒さを和らげてくれる、どこの家庭にもあるごくごく普通の暖炉。
 ただ普通じゃなかったのは、本来ならば薪がくべられるべきその中に、生き物が横たわっていたことである。

「遅いじゃないか。早く助けろ」

 ほれ、と手を差し伸べた男は獅子の顔をしており、その厳つい体をくの字に曲げて氷点下の瞳をしたロインを見上げている。
 その下で気を失っている黒いものは、熊。
 それらを取り巻くようにしてバラバラと散らばり目を回して唸っているのは、こぶし大ほどの大きさの悪魔たち。その手にはミニチュアサイズのトランペットが握られている。
 マムシが巻き付いたその男の右手を取ることもなく、ロインはさらに凍りつくような視線で男を見下ろした。
 見下ろされた男はひらひらと手を振ってその視線を払う。

「そんな瞳で見つめるな。冬でもないのに凍ってしまうではないか」

「…カチンコチンに凍らせて真っ二つに割ってやる」

 左手を上げて術を発動させる体制に入る。

「待て待て。何という言い草だろうな。まあ、貴様の人情溢れる姿など見るよりは遥かにマシだが…さあ、似非魔術師はいいから早く余を助け起こせ。中年にもなるとこの格好ではちと腰に来るのだ」

 ひらひらと動くその手を、ロインは完全に無視した。
 仕方なく、恐る恐るリオが手を差し伸べる。
 少年の助けによってようやく己の足で地面を踏んだ男は、左手でバンバンと少年の肩を叩き感謝の意を表した。

「すまんな、礼を言うぞ。師匠に似ず心優しい少年だ。いいか、年上を敬う気持ちを持たんあんな大人になってはいかんぞ」

 右手であんな大人(ロイン)を指すと、腕に巻きついていたマムシがシャアっと無礼者を威嚇する。
 しかし、その威嚇もロインの視線で威力をもぎ取られてしまった。

「これはこれは、どなたかと思えば地獄の大王、プルソン殿じゃないですか。どうなさったんですか、煙突からいらっしゃるなんて」

 暗黒世界における特級悪魔の一人、プルソン。
 僕である下級悪魔の吹くトランペットの音と共に熊に乗って現れると言われている地獄の大王である。

「おい、マレク。てめえがこんなとこで油売ってっから余計なもんがこうやって出てくんだぞ」

 不機嫌の矛先がマレクに向く。
 対するマレクの態度は台詞の内容はともかくとして、実に堂々たるものだった。

「おいおい、自分の式魔に対して余計なもんってなんだい。だいたいね、僕は確かに魔界と人間界の境界を守る門番だけど、悪魔は管轄外だよ。そんな物騒なものには近づかないことに決めてるんだ」

 唯一無二の異空間の番人、マレク=ブラベウス。
 自称、平和を愛する凡人。

「…頼りになる門番だな」

 ロインの溜め息に太い声が重なった。

「おお、ダルバーンではないか。久しいな。いや、たまたま熊が道を踏み外してな、落ちた先が暖炉だったというわけだ。はっはっは」

 ロインとは反対に、獅子が獰猛な牙を見せて陽気に笑う。
 そこに間髪いれずに注された氷水。

「"地獄の大王"が聞いて呆れるぜ。ご老体に響くんだから地獄で昼寝でもしとけよ」

「いつ会っても憎たらしいガキだ。余がわざわざ貴様のために呼ばれる前に登場してやったというに」

「呼ばれてもねぇのに来んじゃねえよ」

 暗黒界に棲む魔物たちは、総じて人間を好いてはいない。ましてや式魔ともなると、その忌々しい束縛から逃れようと主人の隙を狙っているのが当たり前だ。
 召喚されてもいないのに自分から現れる式魔など聞いたことがない。

「貴様が余を呼んだことなど過去2回ほどしかないではないか」

「てめえが勝手にしょっちゅう出てくるからだろ」

 このプルソンと言う悪魔、用もないのに現れては必ずと言っていいほどひと暴れして悠々と去ってゆく問題児なのである。
 もちろん、その後片付けを押し付けられるのは飼い主であるロインだ。

「自ら行動を起こさねば未来は切り開けぬ」

「その未来の開拓につき合わされる俺はいい迷惑だ」

「ふう、貴様の妹はもっと素直で話のわかるいい子だった。余は惜しい主を亡くしたぞ」


 ウェスペル家といえば知らないものはいないぐらいの特殊な召喚士一族である。
その(あか)は悪魔を呼びその味は悪魔を魅了すると云われ、その血を受け継いだものは生まれながらにして特級階級の悪魔を一匹従える。
 その悪魔たちの力はあまりにも強力で、ゆえにウェスペル一族は「破滅の召喚士」の異名を持つ。

 だが、強大すぎる力は時として人を恐怖と狂乱に陥れる。
 その力に畏怖を感じた者たちによるあの事件が起こるまで、プルソンはロインの妹の悪魔であった。
 今となっては、一族の末裔はロイン=ウェスペルただひとりとなってしまったが。


「だから言ったろ?俺に付くなんて馬鹿な真似すんなって」

「…あの頃からだ、貴様が変わったのは」

 ロインが一瞬ぐっと言葉に詰まり、眼光鋭く悪魔を睨んだ。
 その様子を見て獅子は軽く溜め息をつく。

「だいたい、召喚士のくせに魔術師の真似事ばかりするとは何たることだ、この欠陥召喚士め。我らに対する侮辱だぞ。安逸を貪るあのアシュタロテでさえも流石に退屈を感じておるのだ」

「俺は天才だから、魔術も簡単に出来んだよ。おまけに召喚よりも簡単ときたもんだ。こりゃ使わねえ手はねぇだろ?てめえらだって、ガキのお仕置きばっかりに駆り出されんのはイヤだろーしなぁ。だいたい、てめえらに任せてたらコイツが死んじまうぜ」

 ベシッと頭をはたかれてリオがきょとんとした表情になる。
 フィリシアに説明されて事の重大さを理解した少年の顔から血の気が引いた。

「えっ、ちょっ、どーいうことですか!?まさか、まさか…」

「感謝しろよ?お前はいつも俺がお前を虐待してるみたいな言い方をするが、こいつらを呼び出さないのは俺の愛情なんだからな。こいつらにやらせてたら間違いなくお前はジ・エンドだ」

 ロインがニヤッと笑い、親指で首を切る真似をした。

「ひいっ…」

 腰を抜かしてへなへなとしゃがみ込んでしまった少年をマレクが優しく支える。

「こらこら、あんまり子供を脅さないの。まったく、君はどうしてこう人付き合いが下手なのかね」

「うるせえよ」

「貴様の悪魔の中では余が一番温厚だからな。他を呼び出せばお仕置きを逸脱してしまうだろう。貴様にしては随分とこの少年を大事にしているではないか」

 獅子が久しぶりに旨そうな餌を見つけたと言わんばかりの獰猛な笑みを浮かべ、それを見た召喚士は瞳をそらして小さく舌打ちをした。

「んなことよりも、何しに来たんだよ。ここにゃてめえの遊び道具はねえぞ」

「ふん、余を子ども扱いするんじゃない。良い情報を持ってきてやったのだ。ここだけの話だがな、暗黒界から刺客が放たれる」

「………」

 神妙に話す悪魔を見て、てめえもかよ、とロインが額を押さえた。

「どうした?ははぁん、さては今頃余の偉大さに気が付いたのだな?」

「寝言は寝て言え」

「ふふっ。違いますよ、プルソン殿。実は僕もその情報を得ましてね、さっき彼に教えてあげたところなんです」

「ほう?ではもう知っていたのか。何だ、つまらん。せっかく良い情報を得たと思ったのだが…さすがは門番(ダルバーン)、情報収集はお手のものというわけか。実を言えば余の用事はそれだけなのでな、残念だがこれで失礼する――ほれ、お前たちはいつまで寝っ転がっていれば気が済むのだ。さっさと起きんか」

 周りに散らばる小悪魔たちを一匹一匹軽く蹴っては起き上がらせ、きちんと整列させる。
 手を上げて合図を送ろうとしたその右手をマムシごと掴み、ロインが行進を阻んだ。

「おい」

「…なんだ?」

「その話、てめえ以外に誰が知ってる?」

 耳元で響くドスの利いた低い声に、悪魔は視線を宙に彷徨わせながら応じた。

「我らを甘く見るなよ、地獄の貴族どもだぞ?余が言わんでも皆気付いておるわ。…ただ珍しいことに、ハウレスが非常に上機嫌だった」

 ハウレス卿。
 プルソンと同じくロインの式魔で、炎を操る悪魔である。
 悪魔にしては普段、比較的おとなしい方だ。

「…ハウレス?」

「うむ、放っておいてもそのうちこっちにやって来るだろう。機嫌が良すぎて人の姿になったままウロウロしておったぐらいだからな。まあ頑張って相手をしてやってくれ」

 つまり、ハウレス卿も彼と同様に主人の呼び出しなく自ら現れる気満々、というわけだ。

 召喚よりも魔術が好きな欠陥召喚士、ロイン=ウェスペル。
 彼の使役する悪魔達もまた、欠陥品揃いである。

 じゃあな、と片手を上げて、プルソンは床の扉からトランペットの演奏と共に暗黒界へと帰っていった。




 扉が閉まりトランペットの音色が聞こえなくなったのを確認して、フィリシアが召喚士に目を向けた。

「誰、ハウレスって」

「36の悪霊軍団を従える偉大な公爵殿だよ」

 答えたのは召喚士ではなく門番(ダルバーン)

「お祭り好きな悪魔なのね」

「…普段付き合いが悪い分、走り出したら止まんねーんだ」

 それの飼い主は特大の溜め息を吐きながら力なく首を横に振る。
 マレクはこれからの苦労を今からねぎらうように友人の肩に手を乗せた。




「召喚士としては、有能?」

 そんな師匠をリオは冷めた目で見つめながら、フィリシアにそっと囁いた。


「そんな問題児を式魔に出来るんだから、ある意味有能なんじゃないの?」



Fin.




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