【献花】




「また一つ、消えてしまった」

 男の蒼い唇が僅かに動いて溜め息を吐いた。

「外は雨だというのに」

 物憂げな顔で大窓の外を見遣る。
 空は濃い灰色の雲に覆われ、朝から降り続く雨は綺麗に磨かれた窓を遠慮もなく濡らしている。

 男は揺り椅子の上で脚を組み替え、斜め後ろの暖炉の前に佇む執事に声をかけた。

「しかも、寒いだろうね?」

「冬ですからね」

 返ってくる平坦な答え。

「ここのところ、少し消えすぎだとは思わんか?」

「雨のせいじゃありませんか」

「と、いうと?」

「火に水をかければ消えてしまいます」

「お前、人の命が天候に左右されるというのか」

「雨や雪の日は晴れの日に比べて事故が多いですから」

「…ふむ、なるほど」

 男は細い顎を親指と人差し指でつまみ、部屋の奥へと視線をやって少し思案顔になった。
 その瞳に無数のロウソクが映る。



 蝋燭の館。
 深い緑に囲まれてひっそりと佇む幻の建物。
 俗世から逃げるように奥深く音もなく、それは何気なく存在している。
 その館内に一歩踏み込めば、身体を包み込むのは無数の灯火の熱。
 壁や柱に染み込んだロウの匂いと、暖かく儚い、命の灯火。

「では、私がこの炎達が消えることを憂えるのは無駄ということになる」

「無駄ではないでしょう。感情の起伏があるというのは生きている証拠です」

 能面のように表情を動かさない執事を見て主はそっと尋ねてみる。

「…お前も生きているのか?」

「死んでいるように見えますか」

 感情の起伏が生きている証だとするならば。

「生きているようには見えんな」

「お言葉を返すようですが、私にも感情はあります。ただ顔に出にくいタイプなのです」

 出にくいにも程があろう。

「ところで、花の準備はすでに出来ておりますがお出掛けになりますか」

 そう言って差し出されたのは、一輪の真っ白な薔薇。
 庭から取ってきたばかりらしく、雨の露が花弁と葉を装飾している。

 少し上目遣いにそれを見つめ、主はゆったりと立ち上がった。

「――仕方あるまい、それが私の役目だからな。この雨の中外出するとしよう」

 嘆息してしぶしぶ椅子にかけてあったマントを羽織るその背中に無機質な声が掛かった。

「すぐ隣じゃないですか。傘を開くのもバカバカしい短距離ですよ」





◇ ◆ ◇ ◆






 この館の源は、これら仄かで強かな命の灯り達。
 日々多くの命の眠りと共に炎が消え、多くの命の目覚めと共に新たな炎が灯る。
 その移りゆく様をただ眺めながら過ごすだけの毎日。
 消えかけの小さな炎を見ても手出しは叶わない。
 全てを自然に任せ、退屈な日々が積み重なってゆく。
 消えた炎がせめて安眠できるようにと、花を供え始めたのはいつの頃からだったか。



 男は手にした薔薇をじっと眺めていたが、暫くしてそっと祭壇に置いた。

「一つ訊いてもいいですか」

「ダメだと言っても訊くのだろう?」

 執事は主と会話を楽しむような道楽心を持ち合わせてはいない。
 常に直球、明確、簡潔が信条である。
 それは今日も例外ではない。

「何故いつも一輪だけなんです?」

 無駄に広い庭には丹精込めて育て上げられた白薔薇が余るほどある。
 しかしこの男はそれを花束にするでもなく、毎日一輪ずつしか献花しないのだ。

「それはお前、経費削減というヤツだよ」

「は?」

「献花は出来るだけ極上のものが良い。最近は不景気でな、最高の花を一輪育てるにも色々と物入りなのだ。それに一輪だけの方が心が籠もっていそうだろう?花束にしてしまってはお祝いみたいじゃないか」

「…ケチなんだか何なんだかよくわからない話ですね。私が死んだときも誰かがそうやって白薔薇を一輪だけ供えてくれるんでしょうか」

「ははは、案ずる事はない。お前が死んだときにはとっておきの薔薇を供えてやる」

「とっておき、ですか」

「そう。白と黒の薔薇だ」

「…まだら模様の?」

 怪訝そうな瞳で執事が問う。

「馬鹿者。白薔薇と黒薔薇だ。私の悲しみに染まった漆黒の薔薇だぞ」

 どうだ、嬉しかろう。
 どことなく得意げな主に何と答えてよいのかわからず、とりあえず曖昧に頷いておく。

「というか、あなた、私の最期も看取るつもりなんですね」

 片眉を上げて主がしみじみとつぶやく執事を見つめた。

「当たり前だろう?お前の炎もこの館にあるのだから。それが私の役目だよ」

 それはありがとうございます、と軽く頭を下げて再び視線を元に戻したとき、主の瞳が楽しげに輝いた。

「白黒の大きな束にして、お前に捧げてやろう」

「…期待しておきます」


 蝋燭の館主人レブルグ=チャード、齢57。
 蝋燭の館執事ウェース=コルク、弱冠24歳。





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信じられないかもしれませんが、Fatesの前身です。
どんな道を通ってコレがアレになったのか、私にも未だ不明なんですけど…。