【敬礼】







「やめろよ、気色悪い。嫌味か」

 いつだったか、相棒が苦笑混じりにそんなことを言った。





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「辞令だ辞令。第7地区(セブンス)な」

 今日の昼飯はBランチにするぞぐらいの自然さで上司が言ってのけた。

「…は?」

「だーかーらー、第7地区に異動なんだよおまえ。めでたい出世だありがたく思って歓喜しろ。レーカード中佐か、ふん、ご大層な名前になっちゃってまあ」

 上司が一枚の紙切れを持ち上げて指先で弾く。その様子を、ハルグ・レーカードは不思議な気持ちで見ていた。
 今の自分の階級は「大尉」だ。昇級に別段興味もないので今の地位に不満はない。しかし、「中佐」と呼ばれるということは、二つも階級が上がるということになる。
 上司の顔を穴が開くほど見つめ、突然の異動を命じられた男はおもむろに口を開いた。

「あの、もう一度言ってもらってイイですか?…何ですって?」

 それを聞いた上司は眉を顰めてデスクの向こうに立つ部下を見上げ、持っていた紙切れをそのマヌケ面の目の前に突きつけた。

「おまえの耳は飾り物か。聞いて分からんなら見て理解しろ。読めないとかぬかすなよ?そうなったらアレだ、超能力で読め」

 そんなこと出来るか。
 いつもならすかさず突っ込むところだが、上司の無茶苦茶な命令も今の彼の耳には届かない。というよりも是非とも己の目で確認せねばならないことがある。
 突きつけられた紙切れを受け取って、翳みそうになる目を凝らして男は文字を追った。


 その辞令書には「悪いんだけど第7地区が人手不足でさ、君を中佐にしてあげるから異動して欲しいな〜」というような内容のことが堅苦しくもっともらしく書いてあった。
 5回ほど注意深く読み返して、一つゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、目の前の男に視線を戻した。

「准将」

「んー?」

 頭に両手を乗せて銜えタバコの上司が回転椅子でクルクル回る。

「左遷ですか」

「おまえ単語の意味分かってないな?栄転だろ、栄・転。見てみろ、二階級も出世してるじゃないか」

 何が不満なんだと言わんばかりの、半分は投げやりな口調である。
 しかし、飛ばされる方にすれば何がもどれがも不満に溺れてしまいそうだ。

「普通、二階級特進ってのは殉職したやつに与えられるんじゃなかったですかね?左遷に飽き足らず殉職まで求められてんですか俺は。そんなことを懇願されるほどのビッグなことをやらかした覚えはないんですけど」

 皮肉のこもったその台詞に、准将は銜えていたタバコを取り、その先端でビシッと文句を制した。

「分からんやつだな。上が栄転だと言ってんだからそうなんだと思って従うしかないのが中間管理職の木っ端役人なんだよ。オーライ?ハルグ=レーカード中佐

「…栄転、ねぇ…」

 コッパ役人、ハルグは平たい目で再び辞令書を見た。



 第7地区(セブンス)は、北方区バロワ地方で最小のエリアにして仕事量と殉職率は最大という冗談みたいな土地である。北方区中の厄介事が集まっているのではないかと言われるぐらい事件が頻繁に勃発し、特色あるその赤土は多くの血が染み込んだためだとも噂されるほどだ。

 ハルグの所属する特殊部隊は四つの連隊に分かれていて、一つの連隊はさらに三つの大隊に分かれている。つまり特殊部隊には全部で9つの大隊があるわけだが、それがそれぞれ国境に配置されている。
 ここ第2地区(セカンド)は全面が海に面したエリアで、海賊の襲来を受けない限りはまったりとできる楽園だ。
 それと正反対なのが、問題の第7地区である。
 最小エリアのくせに東側は海に、西側は他国に面している。海賊はもちろんのこと、悪戯に要らぬちょっかいをかけてくるお茶目なお隣さんの相手に忙しい。

 軍に入隊した人間は多少の命の危険は承知の上だろうが、第7地区の危険度は「多少」などという半端な言葉では片付けられない。
 そこはさすがに考慮されて給料も他エリアの部隊に比べれば数倍良いのだが、所詮命あっての物種で、必然的に誰も行きたがらない。

 これに困った上層部は多大なる費用を投資して庁舎の全面改装に踏み切った。

 お陰さまで第7地区の庁舎は豪華に、かつ広々とした建物へと変身した。キャッチフレーズは『新庁舎であなたの気分もリフレッシュ!冷暖房完備で悠々と快適な軍人ライフを楽しみませんか?』である。しかし今のところ、その勧誘に引っかかった者はいないようだ。

 軍の必死の努力も空しく万年人手不足であり、強硬手段として、正式に軍に配属される前の訓練生から3名が毎年補充されることになった。それでも一度揉め事が起こればすぐに人材が足りなくなるし、訓練生では実戦で役に立たないのが現実だ。

 そこで年に数回、季節外れの人事が行われるのだが、それで動かされるのは何かとんでもないことをやらかした連中か、上層部が疎ましく思っている人物だと相場は決まっている。
 各エリアのはみ出し者が集められる場所。軍人の流刑地。それが第7地区(セブンス)だ。

 そこに飛ばされると言うことは、自分も何か不興を買うようなことをやらかしたのだろうか。
 出来る限り昔の記憶まで遡ってみたが、そこまでの失態には覚えがない。
 そう言えば、この間特殊部隊総統が視察にやって来た時に散々嫌味を言って、対応に出た上司をウンザリさせていた。元々権力に胡坐をかいてふんぞり返っているようないけ好かないヤツだったので、煮えたぎったお湯でコーヒーを入れて出したところ口に火傷を負った。そのことを根に持っているのか。だとしたら態度とは反対に随分と器量が狭いではないか。

 一人で悶々と考え込んでいると、上司がその思考を中断させた。

「あそこは今も抗争中だからなぁ、人員不足なんだよ。すぐに使える戦力が欲しいんだとさ」

 その口調はと言えば、自分の部下が死に近い場所へ飛ばされるというのに全く持って他人事だ。もっとも、激しく嘆き悲しまれるほど親密なお付き合いをしていたわけでもないが、それでも5年間共に仕事をしてきたのである。多少の同情があってもバチは当たらないと思う。

「俺は即戦力にはなりませんよ。なんたって特殊入隊当初から現在に至るまで、ずっとこの平和な第2地区勤務なんですから。これ以上何か期待されても困ります」

「でも特殊に来る前は五軍の一個小隊を任されてたろ。その腕を買われたみたいだぜ?」

 上司の目がきらりと光り、その口の端が吊り上る。ニヤッという表現がぴったりの笑みだ。

「第7地区を指揮しているのはカルロ・シリック中佐とか言ったっけ。確か、お前と同期だったな」

「………」

 脳裏に浮かんだ久しく会っていない友人がしてやったりといった顔で笑っている。

 会ったらどんな言葉で罵ってやろうかと、ハルグは低く唸った。





◇ ◆ ◇ ◆





 少し先の方にそびえたつ立派な建物に思わず足を止めた。
 北方区の目玉的存在、第7地区。どこぞの教会でもこれほどじゃないぞ、というぐらい荘厳な庁舎だった。

 しかし、ここで待っているのは楽園ではない。あっちに海賊が出たとあれば駆り出され、こっちに山賊が出たとなれば行って締め上げる。お隣からお誘いがあればお相手を務めなければならない。片腕の骨折はかすり傷とみなされるという噂はあながち嘘でもなさそうだ。

 そんなことをぼんやりと考えながら一歩一歩建物に近づいていったが、近くまで来ると周囲の空気に違和感を感じた。
 警備に立っている門衛はおろおろと落ち着きがないし、庁舎は人の出入りが激しい。皆がバタバタと忙しなく走り回っている。
 着任早々事件かよ。頼むから自分の任期中に厄介事を持ち込んでくれるなよと、到底叶わない願いを胸に秘めて、近くにいた門衛を捕まえた。

「すいません、本日付でこちらに配属されたものなんですが」

 声をかけられた門衛は、今はそれどころじゃないというような顔をこちらに向けたが、次の瞬間、ぱっと驚いた表情になった。夜の雪山で遭難して救助隊に見つけてもらったときのような希望も入り混じっている。

「シリック大隊長の後任の方ですか?」

「…後任?」

 予期せぬ言葉を聞いて眉間にシワが寄る。

「ええ、大隊長からは自分の後任になる中佐が異動してくるからと言付かっております」

「いや、私は確かに中佐ですが、後任では…」

 首をひねりながら一応否定してみるが、その間にも周りでは人が入り乱れ、空気は深く沈んでいる。人々の表情も暗かった。

「随分と立て込んでいるようですが、何かあったんですか」

 まさか隣が本腰入れて喧嘩吹っかけてきたんじゃあるまいな、と行き交う人間を横目で見ながら穏やかに尋ねてみると、門衛は一瞬言葉に詰まり、ぎゅっと唇を噛み締めてからややあって口を開いた。


「大隊長が、…亡くなられました」









 初めて会ったのは、訓練生の入寮式だった。たまたま同室になって、以来13年の付き合いになる。

 カルロ・シリックは、特殊部隊を希望しているだけあって当初から腕の立つ少年だった。
 実技の成績は常にトップ、学力でも上位に位置する、いわゆる『優等生』だった。
 対して自分は頭脳派であり、肉体労働でなきゃ何処に配属されても良かった。下手に好成績を収めると有無を言わさず実行部隊に配属されるので、実技は合格スレスレ程度に手を抜いていたのも事実だ。

 それを、カルロは一発で見抜いた。

「お前、実技で手ぇ抜いてるだろう?」

「…一生懸命やってるさ。俺なりに」

「"一生懸命"じゃなくて"本気"でやれよ」

「いーんだよ、俺はおまえと違って戦場には出ないから。情報部あたりでおとなしくデスクワークに励むんだ」

 そう言った自分を、呆れ顔で見下ろしていた。

 しかし、ひらめきがスゴイと言うかイヤガラセが大好きと言うか、良くも悪くも他人の言うことを鵜呑みにしないのがカルロ・シリックという男なのだ。
 とにかく悪知恵が良く働く。特殊部隊で戦場に出るよりも参謀長の方が似合うと思うぐらいだ。また彼は人を見る目にも自信を持っていた。

 うまい具合に自分はカルロの画策にまんまとハマり、訓練生卒業後、三軍に配属されることとなった。
 命に関わるとあっては授業のように手を抜くわけにもいかず、"本気"で使命をまっとうし続けざるを得なかった。

 五年間三軍で勤務した後、不本意ながらその腕に惚れられて特殊部隊に引っこ抜かれ、そこで卒業以来初めて彼に再会した。その二ヵ月後、カルロはそのスバラシイ性格を上層部にまで遺憾なく発揮し、名目上の昇進と共に第7地区へと異動になったのである。









「出てきな親愛なるカルロ・シリック中佐。本日付でここに配属させられた親友様のご到着だ」

 そこだけ、外界から遮断されたかのように静かだった。
 低く発せられた言葉は薄暗い部屋に行き渡ったが、それに対する返事はない。
 ハルグは苦虫を噛み潰したような顔で室内を見渡した。

 ふと、机の上に置かれた通信機に目をやると、録音のランプが点滅していた。何気なくそのボタンを押してみる。

 スピーカーから、音声が流れ始めた。

「やあ、ハルグ。久しぶりだな。長旅ご苦労だった」

 久しく聞いていなかった友人の声だった。


「きっとお前のことだ、俺に会うなり浴びせる罵詈雑言を考えてきたのだろうが、生憎だったな。第一声は『俺を呼びつけてどんな企みしてんだよ?』といったところか」

 くすくすと笑い声も一緒に聞こえてくる。耐えようという気もないらしい。

「企むだなんて心外だ。向こうの上司からも聞いたろう?こちらも今は大変な時期でね、猫の手も借りたいぐらいなんだよ。人事部に問い合わせたらほら、お前が第2地区で暇を持て余してるって言うじゃないか。これはもう、引っ張ってくるしかないと思ったのさ」

 その声は悪戯が成功した子供のような無邪気さを含んでいる。

「別に持て余してなんかいねーよ。くそ、俺のせっかくの楽園ライフが…」

 ハルグの恨み言にも、当然の事ながら反応はない。椅子に深く沈んで大きく舌打ちをし、通信機を睨みつけた。そんなことも知らず、カルロの声は続く。

「ザマアミロ、だな。俺が第7地区に飛ばされたときにお前は手紙の一つも寄越さなかったではないか。何て薄情な奴だと思ったよ。でもまあそのお陰で心置きなく引き抜くことが出来たわけだから、そのことは水に流してやる」

 これを言っているときのカルロの顔は、人を食ったような笑みでこちらの神経を逆なでするに違いない。
 しばらくの沈黙の後に衣擦れの音がして、続いたカルロの声は、記憶にあるものと寸分の違いもなかった。強い意志を感じさせる、重厚な声。

「俺はこれから戦線へ赴く。お前がこれを聞いているって事は、俺がそこにはいないということだ。上官を失えば土台がぐらつく。そして後は一気に崩壊だ。どれだけ危険なことかわかるな?お前の実力を俺はよく知っている。だからここへ呼んだ。実を言うと、人事部には副大隊長として呼び寄せると申請したんだが」

 一旦言葉を切って、さらに続けた。

「どっちにしろ同じことだな。トップがいなければナンバー2の出番になるわけだし」

 言葉に出来ない感情がこみ上げてきた。最後の言葉は、幾分軽い口調で。

「一生懸命頑張れよ、ハルグ」

 嫌味ったらしい台詞だった。









 棺を見送る多くの軍人達の群れ。
 すすり泣く声がひどく響く。
 少し離れたところでハルグはその光景を眺めていた。
 どんな姑息な手段を使って他人に慕われるようになったんだと、ぼんやりと思った。

「…最後の最後まで悪知恵の働くやつだよ、おまえは。さすが、先生がギリギリまで参謀部に送りたいと粘っていただけのことはある。今までで一番のイヤガラセだ」

 応えはないとわかっていても悪態をつかずにはいられなかった。口を開けば、言葉はすべて吐き捨てるように出てくる。

「だいたいさぁ、指揮官が自ら前線に赴くってどうなんだよ…」

 指揮官は、殿を務めることはあっても最前線に行くもんじゃないだろう?

 記憶の中の彼に尋ねてみても、ただ苦笑いするだけで考えを変えようとする気配は見受けられない。

 ああ、そういう奴だよな、カルロ・シリックという男は。

 ふっと口に笑みが出る。

 じゃあ、俺をよく知っているおまえなら、俺がやられっぱなしでいるわけがないって、解ってるだろ?



 昔、眉間にシワを寄せて俺に言いやがった。

「…俺、お前と同期で良かったよ」

「は?」

「お前に敬礼されるとなんかムカツク」

「…なんだよ、それ」

「なんかさ、こう、なんとも言えず腹が立って来るんだよ。なんでだろうな?」

「こっちが訊きたいぐらいだ、阿呆」



 運ばれていく棺を、ハルグは敬礼で見送った。
 その顔に、口の端を吊り上げて皮肉な笑みを浮かべる。


「どうだ、俺の敬礼で見送られる気分は。嬉しいだろう?」


 棺が運び去られて見えなくなるまで、ハルグは微動だにしなかった。






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